7日目は日本3大秘境を巡っているところです。山深い四国も興味深いところ満載です。
かずら橋から大歩危(おおぼけ)へ、どんな素晴らしい景色に出会うでしょう?
大歩危(おおぼけ) 徳島県三好市山城町
《にしいや》から大歩危に向かう途中の道は、道幅が広くなり対面通行になってホッと一息です。
車でいろんな道を走ると、なんでこんな所に家を建てたんだろうと思う所を見かけます。
ここもこんな山の上に?
不便だろうし、買い物や学校はどうしているんだろうと不思議に思えてなりません。生まれ育った場所はどこだろうと一番になるものかもしれませんね。

道の駅 大歩危 徳島県三好市山城町
9時半に到着しました。とても景色のいい所にある道の駅です。かずら橋から12.5キロみたいです。


道の駅の駐車場から見下ろす景色もすばらしい!




なぜか妖怪屋敷がありました。「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「コナキジジイ」の故郷がこの辺りらしく、その理由で設置されているとか。
《大歩危・小歩危》とは面白い地名だと思いませんか?
「大股で歩いても小股で歩いても危険」ということでつけられ、とにかく危険な場所ということですね。


観光遊覧船でクルーズ
《レストラン大歩危峡まんなか》1回フロントで、遊覧船の切符を購入して、船乗り場まで降りていくと、ブルーグリーン色の川とそびえたつような深い渓谷が目の前に広がります。
今から吉野川の清流を遊覧船で約4キロのクルーズです!


肌寒いので薄手のダウンを着ていますが、まだ少し寒いくらいです。
船乗り場まで来ると、建物が圧倒されるようにそびえ建っています。川にはこいのぼりが悠々と泳いでいました。風が冷たいこと!



しばらく待っていると中国からの集団の観光客がやってきて、私たちよりいち早く船に乗って出ていきました。私たちは、個人観光で来ていると思われる約15人ほどで乗り合わせていきました。


座席にひとつづつ置かれた救命胴衣を腰に着けるのは必須です。装着して出航!


1億年から2億年前の《結晶片岩》と言われる珍しい岩が見られるのは日本でもここともう1か所だけ。岩に詳しくないのでよくわかりませんが、両側から迫ってくる岩壁は迫力あります!


斜めに入った亀裂が同じ方向できれいに入っているということは、やはり地殻変動ですよね。
吉野川のV字に切り込まれた渓谷の両岸の岩を間近で楽しめるのは遊覧船が一番ですね。


見上げたところに線路があるのに驚きです。どうやって作ったのでしょう?今ももちろん現役の線路です!
船頭さんが詳しく説明されながら船は進みます。吉野川は水量が豊富で流れが速い三大暴れ川の一つと言われましたが、とても穏やかで信じられないほど静かな流れでした。
クレーンの見える所が折り返し地点です。
増水時や悪天候の時に船を一時的に引き上げるためにあるそうです。過去にかなり増水したこともあるとのこと。やっぱり暴れ川なんだ・・・


およそ30分の遊覧船観光でした。吉野川は3大暴れ川の一つで《四国三郎》と呼ばれるそうですが、きれいなブルーグリーンの川で浅い所は川底が見えて本当に透明です。ちなみに三大暴れ川は、坂東太郎(利根川)筑紫次郎(筑後川)四国三郎(吉野川)です。




10時半過ぎに大歩危を後にし、お昼ご飯に向かいます。
三大秘境ですが、どこも整備されている道ばかりです。対岸の道はどこに続く道なのか?
うねうね道もきれいですね。

祖谷そば もみじ亭 徳島県三好市山城町
《祖谷そば》がこの辺りの名物なので、それを頂こうと訪れたお店です。観覧船から近くて10時40分には到着しました。お店はまだオープン前だったので、しばらく待つことに。


落ち着いた佇まいの和風のお店です。《道の駅大歩危》と同じく吉野川の脇にあります。



料理を待つ間に、遊覧船で見たあの線路を通って行く列車が見えました!
祖谷そば御膳と祖谷そば天ぷらを頂きました。
切れやすく太くて短い麺が特徴です。朝が早かったので、11時になったばかりでしたが全部平らげました。ごちそうさまでした。


お腹いっぱいになって、次に目指すのは《別子銅山》。11時半ごろもみじ亭を後に、今度は少し距離があるので気を付けていきましょう。
道の駅霧の森 愛媛県四国中央市新宮町
予定に入ってなかったけど、192号線を走っている途中《道の駅霧の森 12キロ》の標識に夫が反応して行ってみようと思ったようです。脇道に入ったら急に狭くてどんどん上る坂道になってきました。
引き返したら?と言っても一旦行こうと思ったら引き返せないのが【いのしし年生れ】? 地図を見てみると祖谷の方向に行ってるよう・・・「もうここまで来たから」と言っても道の駅は見つからず…

ダムの標識があり、トンネルを通ってやっと到着しました(12時35分着)。遠かったぁ…いったいどこの道を通たんでしょうね?
( ´Д`)=3 フゥ
こぎれいな道の駅は駐車場から道を渡って店や案内所があり、それなりの人出で賑わっていました。



川がすぐ近くにあり子供たちの楽しそうな声が聞こえました。
道の駅すぐ近くに「新宮インターチェンジ」があって助かりました~ε-(´∀`*)ホッ
もう「道の駅」に騙されずにまっすぐ目的地に行きます!!高速に乗って目的地へまっすぐです!!
別子銅山遺構 愛媛県新居浜市
《道の駅マイントピア別子》に1時20分に無事到着しました。
ここから鉱山観光のバスツアーに行こうと思っていたら、平日は13時便のみで、すでに終わっていました。道の駅の件がなかったら乗れたのにねぇ・・・
また自分たちの車で出かけるしかありません。

《東平(とうなる)》方面へ向かう頃は雲が低くなってきて、ナントと前に見える山には雪が積もっているではありませんか\(◎o◎)/!


先ほどの《道の駅マイントピア》から11キロ離れ、標高750mのところに駐車場がありました。途中はやはり細い上り坂がありました。運転に慣れない人危ない道です。。



駐車場から見下ろすと、煉瓦で作られた貯蔵庫跡が目に入ります。確かにここに人々の生活があったとわかりますが、なんだか不思議な感覚に襲われます。「東洋のマチュピチュ」と言われるのはそういうことなんでしょうか?



住友が経営していた別子銅山。江戸時代から昭和にかけて銅の発掘を行ったところ。
坑道はなんと全長700キロ!最深部は海抜マイナス1000m!!\(◎o◎)/! 見当もつかない!!


煉瓦で建てられた巨大な遺構。ここで壮大な人々の営みがあったわけです。最盛期は3700人が暮らす街だったとは信じられません。こんな険しい山の中で…








《インクライン》はここにレールを敷いてトロッコを走らせるケーブルカーのようなものです。傾斜35度長さ100メートルほどの急斜面は今は階段になっていました。これだけの急斜面で荷物を運搬するには必須のシステムですね。1回登るのもそれなりに大変です。





ここが閉坑したあとも別子山村から東平までの人々の足として5年間運転されて、昭和48年に終わるまでずっと走っていたそうです。昭和33年ごろは小学生がこの電車で遠足に行ってたこともあったと。私たちがここで生まれていたらきっと乗っていましたね。


マンプの中にあったかご電車に乗ってみました。
こじんまりしていますが、子供たち同士で一緒におしゃべりしながら乗るのは楽しそうです。


山肌の段々がわかるでしょうか?
道から急な下り坂がはげ山になっていますが、ここにも人々の家が建っていたようです。
隔離されたような山の中にの生活。
こういう時代があったからこそ今の私たちの生活があるのですね。


両脇のブロック塀も生活の場の跡地。
少しづつ山に戻っています。


道の駅マイントピアに戻る途中、猿に遭遇。山深い所ですから猿もいて当たり前です。
こいつはガンつけてくる猿でした。
道の駅マイントピア別子 愛媛県新居浜市
道の駅に3時半に戻って来ました。
今日のお風呂と夕食はどちらともこちらの施設で済ませる予定です。
桜満開できれいです!


4階にある温泉施設《天空の湯》には建物の中にあるエレベーターから行くようになっています。大人1人650円(65歳以上550円)
シャンプーやボディーソープは置いてないのでお風呂セット持参で行きました。
ジェットバスや露天風呂、つぼ風呂もありましたが、子供たちがほとんど占領していました。露天風呂は《熱い:42度》の標示がありましたが、ぬる湯好きの私でも(・・? いやいや38度くらいでしょ と思える温度でした。
熱くないお湯でゆったりまったりできました。

同じフロアにある軽食コーナーで夕食。お風呂上がりの生ビールはたまりません。おいしい!!軽食コーナーなので、カツカレーととり天丼を頂きました。
写真に生ビールが3つあるのに気が付きました?ビールを注いでたら泡だらけになってしまって、もったいないので飲みませんか?と定員さんからまさかのお尋ね!断る理由はもちろんありませんものね。おいしくいただきました(´∀`*)ウフフ 今日誕生日の旦那さん!!まさかのハッピーDAYになりましたね~おめでとうございます!



早めのお風呂と夕食で、今夜はゆっくりできそうです。まだ7時前。8時には就寝かな?
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